ギリシア神話に迷宮に居るミノタウルスという怪物の
話が有った。迷路そのもので出来ている宮殿の話である。
迷宮の物語は色々解釈もあるのだろうが、僕は心の迷宮
という事ではないかと思っている。
宮殿というのは正に人の心を司る中心で有り聖域
(サンクチュアリ)なのだと思う。
迷路というのは頭脳の皴の様で有って、腸のようで居て
複雑な経路にすることによってその延長経路は長くなり
また辿り着くのに時間を要する事にもなる。
迷路を通り抜けるには、ネズミの実験ではないが学習して
その経路を頭に入れなければ抜ける事は出来ないこととなる。
また二次元の迷路の場合は次元を一つ上げて三次元にすると
迷路全体を鳥瞰することが出来、その迷路を解く事が
出来るようになる。
迷路というのは人の進む経路の比喩でもあり、常に選択
があるから、見えない方向を選んだり、戻ったりするという
プロセスが行動そのものの単純化であるから感情に訴える
のだと思う。
テレビゲームのパックマンやRPGなども迷路の概念は必ず
入っており、迷路の中にはミノタウルスの様な怪物が
居たりする。
人はマクロ的に見てその社会は迷路の様なものであり
道路もそうであろうし、社会の仕組みもそうであろう。
常に経路の選択が必要であるし、時によってその経路は
変わったり、新しく成ったりする。
人の心もそうであろう。心は脳や体全体の連鎖として
又更に、他の人との心の連鎖も含めているのでその複雑性は
実際にはハードで表現される世界よりも複雑であって
又、柔軟性に富んでいるし、又、刻々と変化している
ものである。
ハードで既に表現されている社会は心の中に
ある極く一部で有ったりもする。
この心の迷宮は少なくとも空間と時間の4次元で構成
されているから、それを解くにはそれを超える認識の
次元が必要となってくる。少なくとも脳は記憶という
機能を使って4次元の過去の空間把握は留める事が出来る
が未来は容易では無い。未来は不確実性のある選択
可能な、しかも可変迷路の様では無いかと想像している。
そうであるから未来を創ろうという意味はあるとも
言えるのだと思う。そうであれば、4次元の時空に
生きる我々は、それ以上の次元に対して常に影響を
与え又は与えられ相互に共振しているのかも知れない
と思ったりする。
迷宮というからには、迷いながら、怪物(問題)を解き、
高みに到達し聖なる領域に近づくというプロセスが
無ければ成らない。
心にとってのこの怪物とは古い脳、つまり本能に近い
部分の事と捉えている。自らを生存させるためには
息をし、水を飲み、食べ繁殖をさせるというな古い脳
である。食欲、性欲、生命・維持拡大欲といった根源的
なものである。
つまり本来的に攻撃的なプログラムの脳である。
攻撃的であるからエネルギーを持っている。
鬼や悪魔と言えるとも思う。生きるためには善として
食物の殺傷も許されるが、行き過ぎは悪となる。
それを制御し協調することで生物種全体としての繁栄
をするための機能が大脳皮質であるとも言える。正に
迷路の様な皴を持っており、その内部構造自体は膨大な
可変型ネットワークを持つ存在でもある。
これは怪物退治のヒーローや天使といえると思う。
迷宮に象徴される怪物とそれを退治するヒーローは二重
構造でも有り一対である。
二重構造を包含するのは大脳皮質で有り、核にあるのは
古い脳である。
心の迷宮というのは、こころに潜在するこの本能と
制御するための心の葛藤でも有る。
又、人の歴史は正に、この葛藤の結果でも有った。
大脳皮質が発達したばかりに逆に攻撃力が増すという
結果とも成っている。
創造と破壊が一対になりそれが地球環境へも影響を
与える程になっている。
戦争もそうであるし、テロもそうであろう。
すべては大局的に捉えれば心の問題とも言える。
地球は協調すれば人々を充分養うものを与えて
呉れているのである。奪い合えば足らなくなり
分け合えば余る。
弱いものへの攻撃であるイジメと自爆テロの様な
自殺。それも小さな戦争である。
人が人である限り心の迷宮から逃れる事は出来ない。
科学技術の進歩は破壊のテクノロジとも
創造のテクノロジともなっていく。
心の迷宮にどう対峙していくか、ギリシア神話は
実は、未だ今の世界にも生き続けている。
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