緩やかな思い

僕の思いというのは何時も緩やかで有って
しかしひた向きな処があるのだが
激しいというものでは無いように思う。

それは良くも悪くも僕の印象で有ったりも
するのだろう。

僕の性格形成は父親と母親の修羅の現場に
幼い頃から居たせいかも知れない。

刃物沙汰に生命の危機を感じた事も有った。

僕は、幼心にそういった激しさを嫌悪
するようになっていた。

感情を剥き出しにして向かい、怒り泣き
そして喧嘩しあう姿、しかし偶然にも
見た両親のセックス後の姿は子供心に理解を
越えるもので有った。

ドメスティック・バイオレンス。
今なら、そういうのだろう。

歳を取っても未だに愛憎が
表出している姿をみると最近は逆に
よく続くものだと感心する事さえ有る。

今だにある喧嘩も昔の様な激しさは無く
ずいぶんとスケールダウンした。

お互いに感情をぶつけ合う事が
永い夫婦生活の間で愛情の確認の様な
日常であるのかも知れない。

未だ、二人の心は若いままのようである。

「他の人と結婚し居ていたら良かったわ。」

(もういい加減諦めて欲しいなあ。)

僕の思いは、いつも一線を引いていて
それが、緩やかだとか穏やかだとか、そういう
印象になるのかも知れない。

相手を思いやるといいつつも、摩擦を避けて
なるべくお互いに傷つかないようにしたいと
考えていたりする。

ひょっとしたら、自分の中に緩やかさの中に
両親の持つ感情の要素を内在していて、導火する
のが自分で怖いのかも知れない。

未だに両親の様な、激しい恋など無かった。

今更、激しさを求めたりすることも無いだろうが
緩やかでも深く愛するということで
ありたいのだと思う。


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自己催眠療法

僕がその自己催眠療法を受けたのは高校時代だった。
弟が精神的に不安定で大学の教育学部の教授に
カウンセリングを受けていたのだが、ついでに
軽い気持ちで僕も観てもらったのである。

「お兄さんの方が、実は問題かも知れませんね。」

そう教授は母に言った。僕はその頃、学校だけでなく
家庭でのストレスも含めて四面楚歌の状況だった。
学校での試験の前日に弟がトラブルを起こしたり
警察沙汰に成ったり、心の休まる時が無かった。
父・母親も不安定で、僕は部分的に毛が抜けた事も
有ったりした。我慢しなければ家族が崩れてしまう。
そう思った僕は家族の中で両親を支えなければと
重圧になっていたのかも知れない。

自己催眠療法は実にシンプルなもので有った。
言葉と語り方が如何に心の扉を開いていくのか
という事が初めて理解できた。
体が温かくなる、リラックスするという言葉を
自己に滲みさせて、心の緊張を解いていく。

僕はいつの間にか、深い意識の落ち着きを
感じ、疲れが取れた様に感じていた。
わずか三十分の自己催眠で有ったが、それは
数時間経った様にも感じていた。

家に帰って、何気なく向かい合わせた両手の
ひらの間に空気がボールの様になっていると
言う感じがありでそれをすこし縮めたり、
広げたりしていると、両方の指先から細くて
細かい薄紫色の光が結ばれ、満ちていく様に
感じていた。僅かな放電のようなもの。
これがオーラというものかもと直感した。

そうしていると新しいものを発見したようで
何か嬉しさが込み上げてきた。

しばらくたって、蝋燭の炎を見つめていると
始めは薄緑のかかった黄色(イエローグリーン)
の残像が目に残りやがて青色(シアン)そして
濃いピンク色(マゼンダ)へと変化して行った。
色とか光の三原色というのは、こういった
残像の色と関係しているのでは無いかと思う。

それも一寸した驚きで有ったのだが、視覚と
残像の関係を自分の内側から教えられた様で
あった。

僕は意識の扉の開け方を少し体感しただけで
精進もしなかったから進歩もないのであるが
それから、お互いに心を開いた友人の僧侶とは
言わなくても解りあえる事柄が有ったりした。

インドのヨギ(ヨガ行者)の修業というものは
肉体のみならず、精神領域の修業でも有る。
僕には未だ解らない、脳や体の意識と、
そして自己と他の繋がり。そして共振と止揚。
又、タントラヨガでは性の奥義も語られる。

僕は未熟であるから、本当の性の喜びも
知らぬのだと思う。

肉体的絶頂と精神的な高みが恐らくは
究極の幸福感を与えるという事だと
仮説を立てているのだが、それには自己は
勿論の事パートナーに対しても自己催眠で
得られる様な意識の深さレベルでの共振が
必要となるのだと思う。

つまり深い愛情が無ければ本当の喜びは
肉体だけのものであろう。
パートナー含めて大脳皮質と脳幹部分が
共鳴しあうという事だろうか。

何時かはその幸せを感じたいと思っている。

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不治の病

その男性は筋肉が萎えていく病気だった。

僕が最初に年上の彼に有った時、
体はやせ細っていて、しかも既に、
手も動かす事が出来ず、歩く事も出来ず

しかし頭だけはしっかりしていて、座ったまま
口頭で指示をして勉強を教えていた。

出来の悪い生徒を鍛え直し、落第生を
学年でトップにするなど、神業の様な塾は
今でも盛況である。

僕は彼に無償で勉強を教わった事があるのだが
不治の病にもめげずに生きるその姿に
少なからず感動を受けたのを覚えている。

しかし、そんな彼であったが女性にはモテる。
彼を彼女がおぶって車に乗せ、ドライブ
したりする姿は、深い愛情が無ければ出来ない
ものだと思う。

自分がもし、こういう病気であったのなら、
女性はついてくるのだろうかと深く考え込んで
しまった。 

彼女とセックスもしていたというから
女性主導であったのだろうと思う。
僕には今でも彼ほど女性に愛される自信は無い。

最近不治の病と言われていたその病気に
遺伝子治療が検討され始めた。

「いつか治療法が見つかるだろうと思うよ。」

そう彼は言っていたが一歩現実に近づいて来た。

彼が新しい治療法で手足を動かせるように
なることを願っている。 そうすれば又、
人生が広がるのだと思う。

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浜辺の思いで

僕はこの浜辺が好きで
好きになった女の子とデートする
お気に入りの場所だった。

広く遠くて心地よい太平洋に
面したその浜辺は、見ているだけで
心が開放されるように思えた。

幾人かの女の子とこの浜辺に
座って楽しんだデート。

記憶力の余り良くない僕は
誰と何時行ったのかが
曖昧だったりして
少し記憶が交錯しているのかも
知れないと思う。

そんな浜辺の近くが僕の新しい
仕事場になった。
まさか此処までデートではなくて
仕事に来るのだとは思いもよらなかった。

通い初めてもう一年になるのだが
本腰を入れ始めたのは、
ここ数ヶ月前からなのである。

実は、想いでのその浜辺には
未だ行っていない。

もう一度誰かと行けたのなら。
潮騒が今も聞こえているようだ。

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余韻

彼女が帰っても、その余韻が残っている。

どうしてなのだろうと思うのであるが

気持ちが穏やかになるのを感じている。


最初は、体を求めていたのかも知れないが

もう、本当は、そういう事に拘りは無くて

心を共有する時間が唯、楽しいのだと解っている。


普通と逆なのかもしれないなと思う。

純粋にお菓子を喜ぶ彼女の顔が

とても嬉しかったりする。


そんな些細な事が少しづつ

僕の心に重なり合って

忘れてしまわないように刻まれるのだと思う。


いつかあの日、見つけた海辺の夜空の流れ星。

その星のような彼女の人生の軌跡を思う。

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高校の頃と今

「基督系の学校に通っていたの」

そう彼女は言う。家も厳しそうだし、女子高校だったという。
彼女は名前も何処に住んでいるかも教えて呉れたので
僕の事を一応は信用したのだろうと思っている。

「静かで騒げないような教室だったの。」

「高校時代は共学だった?
 彼女と恋愛を充分楽しんでいた?」

「僕は奥手だったから彼女は居なかったよ。」

僕は自分の弱さを知って居たから恋愛にのめりこんで
崩れていくのが怖かった。女の子からのアプローチ
も有ったが学校では禁欲的で自制的でも有った。

それから色々な事が有った。
恋愛も仕事でも。

成功も有ったし失敗も有った。
支えてくれた人も居たし
去って行った人も居た。

今、僕は投資家からの資金によって新しい土地で
買収した企業の再生に取り組んでいる。
それが僕の人生に課せられたテーマとなった。

色々なご縁が生まれ、良くも悪くも可能性は
出てきているが未だプロセスの途上である。

未来を創るのは結局のところ人の繋がりである。
性(ジェンダー)を越えた信頼できるパートナー。
それが今後の命運を決めるのだと思う。

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少女のよう

「あ、有り難う。」
そう彼女は小さく呟いた。

言葉は少し躊躇いがちで、文節で語るように短い。
恥ずかしがりやの様で居て大胆なところも有り
少女のようで居て大人の彼女である。

僕はその断片を繋ぎ合わせ乍ら彼女の全体を
描こうと思っている。丁度、パッチワークか
ジグゾーパズルの様でもある。

横顔を見ると、睫毛が長くて眉毛も整っている。
少し猫背を直してみると、胸からお腹に掛けての
体のラインが綺麗になった。

少女のように京の香が可愛らしく匂った。

二十年も掛けて作り上げられた人の体や心は
実に単純そうで居て複雑で精緻なものだと思う。
受け継がれた遺伝子をベースとして生きてきた
環境によって、人は創られる。

遺伝子は確かに素因の多くを決めるのであるが、
それは肉体の全てでは無くて変えることが出来る部分も
あるから努力したりする意味がある。

僕は彼女がどういう気持ちでいるのだろうと
思いつつ、その胸に手を当ててみる。
彼女の指先は細くて綺麗であった。
こうやって少しづつ色々気付いて行く。

結局、僕はその彼女と共有できる何かを
求めて、満たされない心の空隙を埋めよう
としているのだと思う。

彼女の名前を小さく呼んでみる。

少し彼女が瞼を開けたように思う。

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幼い頃

幼い頃、祖母につれられて温泉に行ったことが有った。小さな岩風呂なのに岩肌のごつごつした感じは体を傷つけそうで怖かった。

 しばらくすると、扉を引いて若い女の人が入ってきた。 立ちこめる湯気の中で、彼女が屈んで湯浴みをする後ろ姿を見つめる。

曇った鏡。お湯が流れ、溢れる音。床に跳ねる水滴。

 湯桶からその女性の肌を伝わっていくお湯と、雪のように白い肌が、少し桜色に 染まったその曲線の美しさ。

その間、息苦しく思え、小さい下腹部が熱くなった。幼心に、初めて女性を意識した瞬間だった。

 あれから随分と過ぎたのであるが、誰とも解らない記憶の中の
その女性を愛おしく、今も、いつか会えると信じている。

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足入れ婚

昔の人も結構、合理的だったなと思わせるシステムの中に足入れ婚というのが有る。

言わば試験的な結婚、同棲によって、合うかどうか試す仕組みでもあった。何ら後ろめたいことでもなく、地域社会として同棲や出来ちゃった婚は明治以前には認められていたという事でもある。僕は此れを祖母から聞いた。

近代的な結婚観より昔はおおらかだったのかも知れないが、おそらく子孫を残すという意味では、マッチングという事も重要だということだろうと思う。

やはり肌を触れ合って沿ってみないと相性は解らないものだとつくづく思う。裸になって見ないと本性は解らないし、一番脇の甘い状態を見るのは性交の時でもあろう。

実は、気が合うと思って肌を触れ合って失望する事なんかが有るのではないかと思うが、肌を触れ合った上で気心が合うとその方が現実的でもあるのかと感じている。

つまり肉体の適合性がベースで、精神が合うという事がより合理的な選択のプロセスなのかも知れない。

「馬は乗ってみよ、人には沿うて見よ」  今は亡き、祖母の教えであった。

Yokiasa


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彼女の政治問題への興味

彼女の興味は政治問題だと言う。 最近の政府の答弁などで従軍慰安婦の問題にも関心が有るらしい。僕も余りその手の知識はなかったのであるがインターネットなどで調べてみると実に様々な情報が有る。どうも軍隊の性処理というものは江戸時代の戦の頃から有るらしい。武士も戦闘の合間に、そういうサービスを受けていたという記録が有るようだ。

第二次世界大戦の日本軍の従軍慰安婦は強制されたかどうかが一つの焦点でも有るらしく様々な議論が出ている。但し経済的には数年勤めれば家が買える位の蓄えに成ったという事も有るようである。それは今の性産業でも言えることかも知れない。

やはり性に於ても需要と供給のバランスで成り立つものだと言えるし、そのサービス価格も需要供給曲線で決められる事になるのだろう。 性産業は最も歴史の有るビジネスでも有る。

性は文字通り「心が生まれる」という人の根源的な本能を示している。男性にとっては性交するという事は本能的にプログラムされた快楽であるし、女性にとっても受け入れるという事は快楽としてプログラムされている筈。結果、遺伝子の交換により新たな命を創造するというプロセスとなる。 極めて根源的な本能でありコンピュータで言えば本能はOSに当たるのだとも思う。

Koinohosomichi

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