緩やかな思い
僕の思いというのは何時も緩やかで有って
しかしひた向きな処があるのだが
激しいというものでは無いように思う。
それは良くも悪くも僕の印象で有ったりも
するのだろう。
僕の性格形成は父親と母親の修羅の現場に
幼い頃から居たせいかも知れない。
刃物沙汰に生命の危機を感じた事も有った。
僕は、幼心にそういった激しさを嫌悪
するようになっていた。
感情を剥き出しにして向かい、怒り泣き
そして喧嘩しあう姿、しかし偶然にも
見た両親のセックス後の姿は子供心に理解を
越えるもので有った。
ドメスティック・バイオレンス。
今なら、そういうのだろう。
歳を取っても未だに愛憎が
表出している姿をみると最近は逆に
よく続くものだと感心する事さえ有る。
今だにある喧嘩も昔の様な激しさは無く
ずいぶんとスケールダウンした。
お互いに感情をぶつけ合う事が
永い夫婦生活の間で愛情の確認の様な
日常であるのかも知れない。
未だ、二人の心は若いままのようである。
「他の人と結婚し居ていたら良かったわ。」
(もういい加減諦めて欲しいなあ。)
僕の思いは、いつも一線を引いていて
それが、緩やかだとか穏やかだとか、そういう
印象になるのかも知れない。
相手を思いやるといいつつも、摩擦を避けて
なるべくお互いに傷つかないようにしたいと
考えていたりする。
ひょっとしたら、自分の中に緩やかさの中に
両親の持つ感情の要素を内在していて、導火する
のが自分で怖いのかも知れない。
未だに両親の様な、激しい恋など無かった。
今更、激しさを求めたりすることも無いだろうが
緩やかでも深く愛するということで
ありたいのだと思う。
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