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魔性の女

「魔性の女って言われたの。」そう彼女は言う。

成程、少し解る気がしてきた。魔性の女と言う
言葉を使う場合には、表面的には寧ろ大人しく見えて
しかし、男を虜にしてしまう何かがある場合に
言うのでは無いだろうか。

清楚で居て寧ろ、セックスなんてしないのでは無いか
そう思わせるような女性が、床上手だったりすると
そのギャップに男性は悦びそして少し悩んだりする。

知人もその昔、若い頃に「魔性の女」と呼ばれたという。
僕はその本人に会ったことは無くてインターネットを
介してしか知らないけれども、写真で見る限り、
小柄で、華奢で、大人しそうな印象である。
建築士の資格も持っていて自営のビジネスをやって
いるのだが、男性遍歴は少なくない。

「泥棒猫って呼ばれたこともあるわ。」

「でも続かないの。」

「未だ独身だわ。イヤになっちゃう。」

同級生から男を奪ったその建築士は言う。

男と女という性差がお互いに魅かれあうというのは
本能的なものであって、魔性というよりは本性なの
だと思う。 

求めることで外見とのギャップや所謂、道徳的な
概念を超えてしまったり、相手や周りが翻弄される
と魔と言われるのだろうと想像している。

僕はその「魔性の女」に会いたくて何度かアポイント
を入れているのだが、なかなか人気が有って難しい。

僕も虜にしているから彼女は「魔性の女」と呼ばれる
のだろうと思っている。

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小学生の学級委員だった頃

小学ニ年生の時の学級委員を一緒にやったのが、彼女であった。

小柄で華奢で目が大きくて、とても可愛らしい子だった。
ひざ小僧辺りのタイツに余裕が有って皴の様になっているのが
ご愛嬌でも有った。

「あけみちゃん!」

僕は彼女の名前をちゃん付けて呼んでいた。
結構彼女は勉強も出来た。

彼女は大人しくて殆ど喋る事も無かったのだが、少し陰が
有って、父親は自分の本当の親では無いらしいという
噂だった。僕は少し幼心に可愛そうな子だなと思っていた。

家庭は複雑そうで裕福でも無かったように記憶している。
僕は、極く普通に彼女に接していた。 その頃は今とは
違って華奢な子では無くて、弾けるような元気な子が
好きだった。

小学生の頃は別に恋愛感情などは無くて、お医者さんごっこ
とかにも余り興味は無かった。 ませた小学生が、
お穴に、おちんちんを入れるんだよって言いふらしていた。
僕はそれではうんちが付いてしまうと思い疑問に思い
百科事典で調べて性器の構造を理解した。

それで興奮して少し皮を剥いたり恥垢を取ったりして、
性器玩弄が癖になってしまっていた。

小学生の低学年頃から僕は塾に通い始めて、私立か国立の
中学校に行くと決めていた。実は地元の中学は県下でも最悪の
暴力校だったので、行けば必ず狙われると思っていた。
角棒や鉄パイプを持って殴り込みとか、教師が骨を折ったとか
トイレで子供を産んだとか、新聞記事には成らなかったが
当時としては恐怖の中学校であったので、僕の勉強目的も
進学というより身を守るという意図であった。

彼女は地元の中学に入学した。
暫くして彼女が妊娠して、堕胎したと聞いた。
中学生の頃の僕は少なからずショックを受けた。
なまじ知らない娘ではなかっただけに、どうしてそう
なのか解らなかった。
義父の子なのか、それとも他の不良の子を宿したのか。

その事が噂になってからは、
彼女から街で挨拶をされても僕はまともに彼女と目を
合わす事が出来なくなっていた。

暫くして彼女は街から出ていった。

大人になって彼女が街に戻ってきた事が有った。
以前の面影は無くなり、少し明るくなった様に感じた。
(幸せになったんだね。良かった。)
僕は心からそう思った。

彼女のあの大きな瞳は、睫毛も長くて
小学生離れしていて、とても輝くようで
綺麗だったのを思い出した。 僕は小学生の頃、
彼女の横顔をじっと見つめていた事が有った。

翻弄される人生であっても最期が幸せならば良い。

僕は今では、そう信じている。

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適性

お祖母さん、置き屋をやっていたの。

以前、或る女性からそんなことを聞いた。

小さい頃、両親と離れて、その京都の置き屋で
暮らしたという。離婚したという両親にも
子供には解らない理由があった様だという。

「華奢で物静かなお祖母さんだったよ。」

「その店には綺麗なお姉さん達が居て。
 私もそういうのに憧れていたかも知れないな。」

その彼女は昼間はOLとして夜はデリの仕事を
している。そういう過去の記憶が、彼女に影響して
いることも有るのだろう。

「彼氏も居ないし、どうせならこういう性交渉は
 嫌いじゃないし、それでお店に電話したの。」

「最初は、一寸、勇気が行ったかなあ。」

「最初の内は怖い客も居たし、暫くトラウマに
 なったこともあるよ。」

僕は彼女は、この仕事に向いていないと思った。

何か、癒されたいと思っていたのが逆に
少しばかり、辛い時間ともなった。

「今の昼間の仕事に全力を集中してみたら?」
そう、アドバイスをした。

彼女はどう聞いたのだろう。僕は、本音を告げる
事は無くて、彼女に真意が伝わったのかどうか
解らない。

果たして、今は、昼間の仕事に集中しているの
だろうか。

人、それぞれであるし、魅力もそれぞれである。

肌を触れあって、始めるという関係は
或る意味、それがゴールでは無くて出発点と
なるから肉体的な魅力は前提となってしまう。

それが無ければ辛い仕事である。 
本人にとっても客にとっても。

その後に精神的な魅力を見いだすという
通常とは逆のプロセスとなる。

我が侭なのかも知れない。

僕は肉体的魅力が有って、しかも
内面の魅力が有りそうな人しか駄目なのである。

適性というのは難しい。客観的に自分を見る事の
難しさは、仕事の選択にも通じると思う。

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緩やかな思い

僕の思いというのは何時も緩やかで有って
しかしひた向きな処があるのだが
激しいというものでは無いように思う。

それは良くも悪くも僕の印象で有ったりも
するのだろう。

僕の性格形成は父親と母親の修羅の現場に
幼い頃から居たせいかも知れない。

刃物沙汰に生命の危機を感じた事も有った。

僕は、幼心にそういった激しさを嫌悪
するようになっていた。

感情を剥き出しにして向かい、怒り泣き
そして喧嘩しあう姿、しかし偶然にも
見た両親のセックス後の姿は子供心に理解を
越えるもので有った。

ドメスティック・バイオレンス。
今なら、そういうのだろう。

歳を取っても未だに愛憎が
表出している姿をみると最近は逆に
よく続くものだと感心する事さえ有る。

今だにある喧嘩も昔の様な激しさは無く
ずいぶんとスケールダウンした。

お互いに感情をぶつけ合う事が
永い夫婦生活の間で愛情の確認の様な
日常であるのかも知れない。

未だ、二人の心は若いままのようである。

「他の人と結婚し居ていたら良かったわ。」

(もういい加減諦めて欲しいなあ。)

僕の思いは、いつも一線を引いていて
それが、緩やかだとか穏やかだとか、そういう
印象になるのかも知れない。

相手を思いやるといいつつも、摩擦を避けて
なるべくお互いに傷つかないようにしたいと
考えていたりする。

ひょっとしたら、自分の中に緩やかさの中に
両親の持つ感情の要素を内在していて、導火する
のが自分で怖いのかも知れない。

未だに両親の様な、激しい恋など無かった。

今更、激しさを求めたりすることも無いだろうが
緩やかでも深く愛するということで
ありたいのだと思う。


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老猫の死

二十余年も生きた猫が静かに息を引き取った。

寅の様に縞の入ったその猫は最近は唯、眠るばかりで
出っ放しになった爪も戻らずに、毛も抜けてくるし、
すっかりと衰えていた。

でも思い出したように時々は起きて来て、僕を見ると
大きく啼いて挨拶をした。

僕はこの猫をモティーフにして焼き物を作ったり絵を
書いたりしていたので愛着も有った。
寅年の年賀状にはその猫が主役で登場する。
近所の猫の写真なんかも取って、ご近所での猫マップを
作ったりもした。

母がその老病の死を看取ったと言うのだが、知らないうちに
息が無かったと言う。

「庭に埋めるから」と言って立ち会って欲しいと言われたのだが
僕は立ち会わなかった。

いつもペットが死ぬとそうなのであるが、僕は何時までも何処かで
生きていると思いたいから、立ち会いたくないのである。
死を認めると言うよりは何処かに行ったと思いたい。

僕の我が侭である。

寒く成りかけた空気の中で、猫が何処か部屋の片隅で

小さく啼いたように感じた。

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電話無しの関係

その彼女とはパーティで出会った。
随分と陽気な彼女で、飲みっぷりも良かった。
化粧気も無かったが、綺麗な肌をしていて
快活な感じの子である。

僕は帰りがけに早速、彼女を誘う事とした。

「じゃあ、今度、駅で待ち合わせね。」

そう彼女は言い残して、電話番号も告げずに去って言った。

(ホントに来るのかな)やや不安で有ったのだが、

待ち合わせに彼女は何時もキッチリ来た。

彼女が電話番号を教えないという事以外は普通で有った。

未だ、メールも一般的では無かったから、今度の約束が
守らなければ、もうそれで終わり、そういう関係で有った。

僕たちは映画を見たり会社のたわいもない話をしたりして
普通のデートを愉しんでいた。

「私、未だ男の人を知らないから。」

ガードの固い彼女でも有った。

水泳が得意で、クロールの時に右と左に交互で息継ぎを
するというやり方を初めて知った。

「バランスが取れるのよ。」 そう言った。

濡れた髪の滴を取って、彼女は長い髪を三つ編みにした。
そして、こちらを見て少し微笑んだ。

会社員なのにスクール水着の様な彼女は、高校生の様であった。

何故かとても愛おしく感じて、僕は彼女にそっと唇を合わせた。

つき合い始めて、一番楽しく感じ居た頃

或る時に彼女がこう切り出した。

「一緒に居るととても楽しいけれど、辛くなるよ。 
 やっぱり一緒にはなれないよ。 話も面白いし
 もっと良い子いるよ。」

「どういう事? もっと好きな人が出来たの?」

「違う、好きになっちゃ行けないの。違うの。」 

良く意味が飲み込めなかった。

 

「来週待ってるよ、何時もの処で。」

そう言っていつもの様に別れた。

でも、彼女は二度と僕の目の前に現れなかった。

始めから別れる積もりで僕と付き合っていたのだろうか。
それで電話番号も言わなかったのだろうか。

僕は人づてに彼女の事を聞いた。
好きならば一緒にやれるという僕よりも彼女は
現実を見ていたのかも知れない。

彼女は僕の事を「ちゃん付け」で呼んでいた。
そう呼ばれたのは彼女からだけであった。

空耳だったのだけれど僕の名前をそっと
呼ばれた様に感じた。

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夢を描く

僕が好きなのはグスタフ・クリムトの絵。

勿論、竹久夢二も好きなのだけれども、夢二の絵はアンニュイな
奥ゆかしさがあって、物憂げな女性が一人佇む様なものが多い。

クリムトは愛し合う形を示している。しかも露骨ではなくて、
歌麿のような行為の描写の春画とは一線を画すものと捉えている。

彼の絵からは、愛し合うプロセスでの、女性の表情とその体の
線が喩えようもなく綺麗なのである。

非対称の構図や日本画の金箔や模様のデザインも取り入れて
アールヌーボーの要素も含まれている。

愛されて微睡むその姿は至福のようでいて、見ている僕にも
その余韻の波長が伝わってくるようである。

「愛し合う夢の絵」 

僕はそう感じている。


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心無い自分の一言

もう何年も前の事であった。
某大手企業のサラリーマンだった僕は、何時も
パーティやイベントの幹事役だった。

「つき合ってください!」

そう迫られて、その女の子に僕は咄嗟に心無い
一言を放ってしまった。

「冗談でしょう?」

思わず出た自分の一言にしまったと思った。
(断るにしても、もっと言い方があるだろうに。)

僕はそのテニス合宿の幹事役であって、実は
他に気に入った女の子が居たので思わず困ったと思って
彼女の告白を打ち消したいと思って、口走ったのである。

一度出た言葉は元には戻らない。

暫くして、告白した彼女が結婚したと聞いた。

「今はね、彼女、可愛い子供もいるんだよ。
 あの子と一緒になっていたら、貴方も幸せだったかもよ。」

そう僕の女友達が言った。

(悪い子じゃなかったんだけど、本当は君の事が
 良かったんだよ。)

複雑な思いであった。時は経ってもあの時の言葉と
場の雰囲気が思い出され自分への嫌悪感だったり
したりして、そんな記憶が甦ってしまう。

失言はなかなか直らない。

言わなくても良い事を言って、言わなくては行けない
事を言うことが出来ない。

「本当に感じているの? 演技じゃないの?」

「演技はしないわ。」

(ご免ね・・・・)

本当は謝らなければ成らないけれど、
言葉に成らなかった。

相変わらず成長しない僕なのだと思う。




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自己催眠療法

僕がその自己催眠療法を受けたのは高校時代だった。
弟が精神的に不安定で大学の教育学部の教授に
カウンセリングを受けていたのだが、ついでに
軽い気持ちで僕も観てもらったのである。

「お兄さんの方が、実は問題かも知れませんね。」

そう教授は母に言った。僕はその頃、学校だけでなく
家庭でのストレスも含めて四面楚歌の状況だった。
学校での試験の前日に弟がトラブルを起こしたり
警察沙汰に成ったり、心の休まる時が無かった。
父・母親も不安定で、僕は部分的に毛が抜けた事も
有ったりした。我慢しなければ家族が崩れてしまう。
そう思った僕は家族の中で両親を支えなければと
重圧になっていたのかも知れない。

自己催眠療法は実にシンプルなもので有った。
言葉と語り方が如何に心の扉を開いていくのか
という事が初めて理解できた。
体が温かくなる、リラックスするという言葉を
自己に滲みさせて、心の緊張を解いていく。

僕はいつの間にか、深い意識の落ち着きを
感じ、疲れが取れた様に感じていた。
わずか三十分の自己催眠で有ったが、それは
数時間経った様にも感じていた。

家に帰って、何気なく向かい合わせた両手の
ひらの間に空気がボールの様になっていると
言う感じがありでそれをすこし縮めたり、
広げたりしていると、両方の指先から細くて
細かい薄紫色の光が結ばれ、満ちていく様に
感じていた。僅かな放電のようなもの。
これがオーラというものかもと直感した。

そうしていると新しいものを発見したようで
何か嬉しさが込み上げてきた。

しばらくたって、蝋燭の炎を見つめていると
始めは薄緑のかかった黄色(イエローグリーン)
の残像が目に残りやがて青色(シアン)そして
濃いピンク色(マゼンダ)へと変化して行った。
色とか光の三原色というのは、こういった
残像の色と関係しているのでは無いかと思う。

それも一寸した驚きで有ったのだが、視覚と
残像の関係を自分の内側から教えられた様で
あった。

僕は意識の扉の開け方を少し体感しただけで
精進もしなかったから進歩もないのであるが
それから、お互いに心を開いた友人の僧侶とは
言わなくても解りあえる事柄が有ったりした。

インドのヨギ(ヨガ行者)の修業というものは
肉体のみならず、精神領域の修業でも有る。
僕には未だ解らない、脳や体の意識と、
そして自己と他の繋がり。そして共振と止揚。
又、タントラヨガでは性の奥義も語られる。

僕は未熟であるから、本当の性の喜びも
知らぬのだと思う。

肉体的絶頂と精神的な高みが恐らくは
究極の幸福感を与えるという事だと
仮説を立てているのだが、それには自己は
勿論の事パートナーに対しても自己催眠で
得られる様な意識の深さレベルでの共振が
必要となるのだと思う。

つまり深い愛情が無ければ本当の喜びは
肉体だけのものであろう。
パートナー含めて大脳皮質と脳幹部分が
共鳴しあうという事だろうか。

何時かはその幸せを感じたいと思っている。

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不治の病

その男性は筋肉が萎えていく病気だった。

僕が最初に年上の彼に有った時、
体はやせ細っていて、しかも既に、
手も動かす事が出来ず、歩く事も出来ず

しかし頭だけはしっかりしていて、座ったまま
口頭で指示をして勉強を教えていた。

出来の悪い生徒を鍛え直し、落第生を
学年でトップにするなど、神業の様な塾は
今でも盛況である。

僕は彼に無償で勉強を教わった事があるのだが
不治の病にもめげずに生きるその姿に
少なからず感動を受けたのを覚えている。

しかし、そんな彼であったが女性にはモテる。
彼を彼女がおぶって車に乗せ、ドライブ
したりする姿は、深い愛情が無ければ出来ない
ものだと思う。

自分がもし、こういう病気であったのなら、
女性はついてくるのだろうかと深く考え込んで
しまった。 

彼女とセックスもしていたというから
女性主導であったのだろうと思う。
僕には今でも彼ほど女性に愛される自信は無い。

最近不治の病と言われていたその病気に
遺伝子治療が検討され始めた。

「いつか治療法が見つかるだろうと思うよ。」

そう彼は言っていたが一歩現実に近づいて来た。

彼が新しい治療法で手足を動かせるように
なることを願っている。 そうすれば又、
人生が広がるのだと思う。

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神父様

僕はカトリック教会に小さい頃通った事がある。
そこには体が大きくて優しそうな白髪の神父様が居て
今でも、少しおかしなイントネーションを思い出す。

青い目のシスターは若くて綺麗で、幼心にどうして
この人は日本に居るのだろうかと思ったりしていた。

教会は聖誕祭の頃になると随分冷え込んで居て、
床にひざまづくと、冷たさが堪えた。
僕はお祈りや、賛美歌が退屈であった。
涙ぐんでいる人も居ると、感情的だなあと
思ったりもしていた。

洗礼を受けた人に与えられる薄いマナを舌の上に
乗せたいと思った。どんな味がするのだろうと
興味があったのだが、結局、それは叶わなかった。

イエス様が生まれた時のミニュチュアが展示され
馬小屋の様子を眺めていたことを思い出す。

神父様は超能力が有ったのだという。
食事の時にスプーンが自然に曲がってしまう事など
が有り、シスター達は小さな奇跡と思ったという。

イエスズ会からミッションとして派遣され、
その地域の教会を設立し、困った人たちを救った。

神父様が昇天され、やがて教会も移設された。

僕は俗人のままで相変わらず迷える子羊なのであるが、
時々は自分の罪深さを悔いたりすることも有る。

僕の行動が最後の一歩で無軌道にならず何処かで
歯止めが掛かっているのも、神父様の導きのせい
なのかも知れないと思う事が有る。

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第三帝国の夢

第二次大戦の独裁者ヒトラーの最後を描いた映画を観た。
ナチスドイツを率い第三帝国を創るという野望はベルリンへの
連合軍の進行及びヒトラー自殺により終焉することとなる。
映画はその状況をリアルに描いていたが、実際にはヒトラー
の死体とされるものには本人確認が成されないように焼却
されていたのである。

通説通りの映画だった。しかし本当はどうであったのだろう?
第二次世界大戦の終結の為にはドイツの無条件降伏と独裁者の
死という事が必要であった。

戦後、ナチスドイツの元高官が南米のアルゼンチンで見つかる。
イスラエルの諜報機関モサドにより追求された成果でもある。 

アルゼンチンは元ナチスが潜伏しており、総統である
ヒトラーも敗戦直前にベルリンから飛行機でノルウエーに脱出し、
そこから潜水艦のUボートでアルゼンチンへ逃れたという
説が有る。

ヒトラーを支えたのは実はユダヤ資本だったのか。
戦争代理人とし、ユダヤ人を被害者とし、イスラエル建国へ
のシナリオを実現させるための道具として使ったとしたら。

そもそもナチ(NAZI)という言葉自体が
「国際シオニスト連盟  (National Association of Zionist International)」
の頭文字と偶然にも一致するというという。

第二次世界大戦でドイツはロケットミサイル、ジェット機そして
原爆、化学兵器と現代の兵器の核となるものを次々創り上げた。
60年以上前の話である。
フォルクスワーゲンもポルシェ博士に開発をさせ高速道路も
制限速度の無いアウトバーンとし整備された。

広島に投下されたウラン型原爆はナチス製であったか?
米国はプルトニウム型の開発を推進していた。
ロケット技術は戦後、米国とロシアに流れ、兵器と宇宙開発に
貢献した。ドイツのテクノロジーは皮肉にも戦後の発展に
大きく貢献したのも現実であった。

ヒトラーの描いた第三帝国は敢えなく崩壊したが、
ユダヤのイスラエルは建国に至った。 

嘗て国を追われた選民は再びかの地に国を創る。
彼等の宗教に刻まれた達成すべき歴史となった。

夢は子孫に受け継がれ実現させるべきもので有った。
ヒトラーの第三帝国の夢は彼とその時代とであった。
イスラエル建国はそれを踏み台にしても成しえる
べき彼等の言う神によってプログラムされた歴史である。

実はこれこそが第三帝国そのもので有ったの
では無いかと思う。
そしてシンボルが聖地エルサレムである。

現代へ続く夢はそれに留まらない。市場経済により
マネーによる支配が進む本質を見れば、マネーや
経済の仕組みを創る側による緩慢なる支配構造である。

僕はそれは国境なき経済を包含する市場主義であり
自由主義であり、インターネットがそれを包含し
支配構造を作る。それが第三帝国としたら。
マネーもデジタルとなれば一層制御しやすくもなる。

巨大資本家が皇帝となる第三帝国は全てが金によって
支配される。

今も第三帝国の夢は続いているのでは無いか。

 

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Second Life

日本ではSNSのMixiがブームになったが海外では既に
バーチャルワールドのSecond Lifeが有る。

インターネットへのアクセススピードやパソコンの
グラフィック能力が向上することで3Dの仮想空間での
生活をゲームとして楽しめる様に成ってきた。

アクション映画のマトリックスやコメディ映画のマスク
という世界観が出てきたという事だと思う。

頭脳で考えた事がパソコンのスクリーンに再現される
事になるから、現実の制約のある世界よりも夢を実現
することも容易と思う。

夢の世界の実現という事で考えれば、始まったばかりの
この空間も継続していくのであれば歴史も創られアパター
の生も死もあるだろう。

バーチャルという仮想現実の世界観はその世界の情報量
によってより一層リアル感を持ってくる。
PS3はハイヴィジョンの解像度を持ち普通のパソコンを
遥かに凌ぐグラフィック性能を持つ。
Wiiは優れたコントローラーのインターフェースを持つ。

しかしスクリーンからは視覚情報、スピーカーからは聴覚
が得られるのが主で有って他の感覚を埋める
インターフェースを持ってはいない。
情報量はやがて人の視覚レベルを超えることとなろうが
五感の内、嗅覚や触覚、味覚を得るには新たなデバイス(装置)が
必要となる。

バーチャルワールド自体は現実に存在するが
そのワールドのコンテンツ自体は今のところデジタル
ワールドとの結界により隔てられているが、
例えば現実世界から仮想現実へ経済の流れを
創る事となれば、アパターが仕事を受託するという事とも成る。

仮想現実の世界をペットに向けて考えてみれば
パソコンのスクリーンの中のペットという事も
有るのだと思う。ポストペットやAiboなどSONYは
デジタルペットと人のインターフェースを繋いだが
画像認識を含めてネットワーク上のペットも
技術的には出来そうだ。

既に亡くなったペットに逢いに行くという事も
あるのかも知れない。

テクノロジーの進歩は確実に新しい世界観を創造
し始める。仮想現実も遅かれ早かれ現実世界と
呼応し共振しはじめる。

好む好まないに関わらず又、良し悪しによらず
テクノロジは何時の時代も人間に影響を与え続ける。

僕のSecond Lifeはバーチャルワールドでは無くて
リアルワールドのベンチャー起業という事で有った。
夢の現実化ということなのだと思う。

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小さな手のひら

彼女の手のひらと、僕のを合わせてみると
二回りほど小さくて可愛らしい大きさである。
指は細くて爪も長くは伸ばしてはいない。
飾り気は無いけれど自然に光沢のある爪。

そんな彼女の手を見ていて高校時代
に女の子とフォークダンスをしたことを
思い出した。

少し気に入っている娘が輪の中でだんだんと
近づいてくると胸の鼓動が早くなって、
息苦しくなったりした。

体育会の中でのその一コマは、懐かしくて
手や肩に触れるダンスで自分と相手の相性を
確かめたり出来る。

気の合う相手は手を繋ぐと嬉しそうな表情だったり
嫌々な相手は手の平が妙に汗ばんでいたり
手の握り方もぞんざいだったりするから、
それで相手の気持ちも言わなくても伝わると思う。

僕のお気に入りの娘は白くて小さな手をしていて
指の先端に力が入るとピンク色になったりする。
フォークダンスで触れ合う時間は短かったけれども
横目で少しその彼女の顔をみたら、少し俯き加減だけど
微笑んでいる様に見えた。

それが純子だった。 

ぼくは其れから彼女のことを
二年間は思い続けていて
大学に入ってから初めて彼女を誘った。

一度きりのデートだった。 儚くて淡い恋。

そんな事を思い出していた。

手のひらの大きさを較べた彼女の
指は先端まですっと綺麗に伸びていて
柔らかかった。

その指先で僕の腕や頬を撫でる様に
そっと優しく触れて呉れる。

彼女は何も言わず、暫くの間

唯、そうしていた。

「また今度ね。」

そう言って指切り。

小指を絡めた感触が

未だ僕の指先にも残っているようだ。

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小学生の夢

僕が小学生の頃の夢は「科学者になること」だった。
そう卒業文集に書いた記憶が有る。
研究者には成らなかったけれども、新しいモノや
テクノロジを開発する技術者の仕事に就いた。

その意味では概ね近いポジションと言えるのだと
思う。自由な発想で就職した大手企業の組織とは
色々、軋轢もあったけれども世界初とか業界初
というような製品を世に送り出してきた。

僕が小学生の時はインターネットなど無かった
最近の小学生は学校でホームページを作っているのだが
なかなか暖かく良いホームページが有った。

熊本市中原小学校のページである。
ブログあるからなかなかである。
手書きの絵もふんだんに入れて有り、あの頃の
気持ちにタイムスリップしたようだ。

夢を描きながら、まだ成長途上にある小学生達の
楽しそうな姿が浮かぶようである。

良き夢を紡ぎ良い未来を創造して欲しいと思う。


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愛犬の思いで

「可愛いでしょ。」
そう言って彼女は携帯で撮った愛犬の写真を見せた。

僕は幼い頃に飼っていた、コッカスパニエルの事を
思い出した。 白と黒のツートンで、喜ぶと
尻尾を箒の様に振る犬だった。
洗うと、水しぶきをブルブルと弾き飛ばすようにして
それが幼心に少し閉口したのを覚えている。

次に飼ったのはケアンテリア。
僕がお腹を擦ると興奮して小さな庭を駆け回る。
そんな事を飽きるまで何度も繰り返していた。
僕はこの犬の絵を描いたり、粘土で形を作ったり
していた。

二匹の犬は病気で死んでしまったのであるが
従順に瞳を見つめる犬は僕の事を裏切らない様に
感じていた。

僕は元々は猫のクールさや我が侭さが好きであったのだが
最近は少し犬派になってきたかも知れないと思う。

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浜辺の思いで

僕はこの浜辺が好きで
好きになった女の子とデートする
お気に入りの場所だった。

広く遠くて心地よい太平洋に
面したその浜辺は、見ているだけで
心が開放されるように思えた。

幾人かの女の子とこの浜辺に
座って楽しんだデート。

記憶力の余り良くない僕は
誰と何時行ったのかが
曖昧だったりして
少し記憶が交錯しているのかも
知れないと思う。

そんな浜辺の近くが僕の新しい
仕事場になった。
まさか此処までデートではなくて
仕事に来るのだとは思いもよらなかった。

通い初めてもう一年になるのだが
本腰を入れ始めたのは、
ここ数ヶ月前からなのである。

実は、想いでのその浜辺には
未だ行っていない。

もう一度誰かと行けたのなら。
潮騒が今も聞こえているようだ。

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小さな白い花

小さな白い花のネックレス。
彼女の胸元に大人しくある。

僕は白い花のイヤリングを
随分前に女性にプレゼントした事を
思い出していた。

友達の妹だった。

忘却の彼方であった事が
そのネックレスを見つめていて、
恋にも成らない切ない記憶
として甦った。

その頃の恥ずかしさも有って
少し胸が詰まるようだった。


僕と彼女は湯船につかっている。

「私、ピアスはしないの。」

そう彼女は言った。

彼女の首筋から耳に掛けてを
眺めていると、少しふっくらと
した耳朶が紅潮している。

柔らかな耳朶にそっと
触れてみると擽ったそうに
肩を竦めた。

僕は、ずっとこうして居たい
と思うのであるが時はそれを
許してくれないようだ。

その小さな白い花は
彼女の控え目な一面を
表現しているようにも思う。

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香り

「今日の香りはGuerlain。良い匂いでしょ。」

そう彼女は言った。

香水の名前は僕が聞き間違えていなければ
確かアプレロンデ<にわか雨の後>だったのだと思う。
そうだとすれば1906年に発売された香水である。
Guerlainは180年近い歴史を持っている。

僕がGuerlainの名前を初めて聞いたのは小学生の頃
祖母がお洒落な人でMitsukoという香水を付けていた。

僕は学生の頃はaramisの三種類の香りを楽しんでいた。
社会人になってからはHERMES、GIVENCHY、POLO
CHANEL、DUNHILL、最近ではBVLGARI。

彼女は香りが好きなようだからそういう道も
あるのだろうかと思ったりする。

日本には香道というものがある。
香りを感じ味わうというプロセスを聞香と言う。

僕は彼女の肌の香りが日々、
少しづつ違う事を感じている。

今度逢うときはどんな香りに包まれるのだろう。

Apre


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余韻

彼女が帰っても、その余韻が残っている。

どうしてなのだろうと思うのであるが

気持ちが穏やかになるのを感じている。


最初は、体を求めていたのかも知れないが

もう、本当は、そういう事に拘りは無くて

心を共有する時間が唯、楽しいのだと解っている。


普通と逆なのかもしれないなと思う。

純粋にお菓子を喜ぶ彼女の顔が

とても嬉しかったりする。


そんな些細な事が少しづつ

僕の心に重なり合って

忘れてしまわないように刻まれるのだと思う。


いつかあの日、見つけた海辺の夜空の流れ星。

その星のような彼女の人生の軌跡を思う。

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高校の頃と今

「基督系の学校に通っていたの」

そう彼女は言う。家も厳しそうだし、女子高校だったという。
彼女は名前も何処に住んでいるかも教えて呉れたので
僕の事を一応は信用したのだろうと思っている。

「静かで騒げないような教室だったの。」

「高校時代は共学だった?
 彼女と恋愛を充分楽しんでいた?」

「僕は奥手だったから彼女は居なかったよ。」

僕は自分の弱さを知って居たから恋愛にのめりこんで
崩れていくのが怖かった。女の子からのアプローチ
も有ったが学校では禁欲的で自制的でも有った。

それから色々な事が有った。
恋愛も仕事でも。

成功も有ったし失敗も有った。
支えてくれた人も居たし
去って行った人も居た。

今、僕は投資家からの資金によって新しい土地で
買収した企業の再生に取り組んでいる。
それが僕の人生に課せられたテーマとなった。

色々なご縁が生まれ、良くも悪くも可能性は
出てきているが未だプロセスの途上である。

未来を創るのは結局のところ人の繋がりである。
性(ジェンダー)を越えた信頼できるパートナー。
それが今後の命運を決めるのだと思う。

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心の迷宮

ギリシア神話に迷宮に居るミノタウルスという怪物の
話が有った。迷路そのもので出来ている宮殿の話である。

迷宮の物語は色々解釈もあるのだろうが、僕は心の迷宮
という事ではないかと思っている。
宮殿というのは正に人の心を司る中心で有り聖域
(サンクチュアリ)なのだと思う。

迷路というのは頭脳の皴の様で有って、腸のようで居て
複雑な経路にすることによってその延長経路は長くなり
また辿り着くのに時間を要する事にもなる。

迷路を通り抜けるには、ネズミの実験ではないが学習して
その経路を頭に入れなければ抜ける事は出来ないこととなる。
また二次元の迷路の場合は次元を一つ上げて三次元にすると
迷路全体を鳥瞰することが出来、その迷路を解く事が
出来るようになる。

迷路というのは人の進む経路の比喩でもあり、常に選択
があるから、見えない方向を選んだり、戻ったりするという
プロセスが行動そのものの単純化であるから感情に訴える
のだと思う。
テレビゲームのパックマンやRPGなども迷路の概念は必ず
入っており、迷路の中にはミノタウルスの様な怪物が
居たりする。

人はマクロ的に見てその社会は迷路の様なものであり
道路もそうであろうし、社会の仕組みもそうであろう。
常に経路の選択が必要であるし、時によってその経路は
変わったり、新しく成ったりする。

人の心もそうであろう。心は脳や体全体の連鎖として
又更に、他の人との心の連鎖も含めているのでその複雑性は
実際にはハードで表現される世界よりも複雑であって
又、柔軟性に富んでいるし、又、刻々と変化している
ものである。

ハードで既に表現されている社会は心の中に
ある極く一部で有ったりもする。

この心の迷宮は少なくとも空間と時間の4次元で構成
されているから、それを解くにはそれを超える認識の
次元が必要となってくる。少なくとも脳は記憶という
機能を使って4次元の過去の空間把握は留める事が出来る
が未来は容易では無い。未来は不確実性のある選択
可能な、しかも可変迷路の様では無いかと想像している。

そうであるから未来を創ろうという意味はあるとも
言えるのだと思う。そうであれば、4次元の時空に
生きる我々は、それ以上の次元に対して常に影響を
与え又は与えられ相互に共振しているのかも知れない
と思ったりする。

迷宮というからには、迷いながら、怪物(問題)を解き、
高みに到達し聖なる領域に近づくというプロセスが
無ければ成らない。

心にとってのこの怪物とは古い脳、つまり本能に近い
部分の事と捉えている。自らを生存させるためには
息をし、水を飲み、食べ繁殖をさせるというな古い脳
である。食欲、性欲、生命・維持拡大欲といった根源的
なものである。

つまり本来的に攻撃的なプログラムの脳である。
攻撃的であるからエネルギーを持っている。
鬼や悪魔と言えるとも思う。生きるためには善として
食物の殺傷も許されるが、行き過ぎは悪となる。

それを制御し協調することで生物種全体としての繁栄
をするための機能が大脳皮質であるとも言える。正に
迷路の様な皴を持っており、その内部構造自体は膨大な
可変型ネットワークを持つ存在でもある。
これは怪物退治のヒーローや天使といえると思う。

迷宮に象徴される怪物とそれを退治するヒーローは二重
構造でも有り一対である。
二重構造を包含するのは大脳皮質で有り、核にあるのは
古い脳である。

心の迷宮というのは、こころに潜在するこの本能と
制御するための心の葛藤でも有る。

又、人の歴史は正に、この葛藤の結果でも有った。
大脳皮質が発達したばかりに逆に攻撃力が増すという
結果とも成っている。 
創造と破壊が一対になりそれが地球環境へも影響を
与える程になっている。

戦争もそうであるし、テロもそうであろう。
すべては大局的に捉えれば心の問題とも言える。
地球は協調すれば人々を充分養うものを与えて
呉れているのである。奪い合えば足らなくなり
分け合えば余る。
弱いものへの攻撃であるイジメと自爆テロの様な
自殺。それも小さな戦争である。

人が人である限り心の迷宮から逃れる事は出来ない。
科学技術の進歩は破壊のテクノロジとも
創造のテクノロジともなっていく。

心の迷宮にどう対峙していくか、ギリシア神話は
実は、未だ今の世界にも生き続けている。

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意識の飛翔

地球を俯瞰することが出来れば
その神秘的な姿に魅了されるのだろう。
宇宙飛行士も宇宙遊泳をする事で
新たな意識を感じるようになるという。

そういう意識を期待しているのか
おそらくは彼女は現(うつつ)の世界から
飛翔したいと思っているのだろうかと思う。

古代文明は我々の世界である地球は
太陽と中心として月と星とともにあった。
太陽は命そのものの源である。

創造主である宇宙は神そのものであり
意識であり秩序であり命であり
総体としては始まりも終わりも無い。
宇宙は信仰の対象となり宗教が生まれた。

僕はTVで催眠によって人の意識の観察
をした番組を見た事がある。その意識は
過去に遡れば、記憶が鮮明に浮かび上がり、
そして未来への意識を移してみる。

「死後あなたはどうなっていますか?」
そう問われた被験者は
「地球の外側に意識が有ります。」
と、そう答える。

「死は怖くないもの。」
「穏やかな気持ち。」
「心配しないで。大丈夫。」

その被験者の意識が本当なのかどうか
真偽を確かめる事は叶わないのであるが

意識がやがて宇宙の中に帰るというのは
喩え物語であったとしても素敵な事だと思う。

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ひととき

僕は何時の間にか彼女に会うのが
ひとときの愉しみになってきた。

今日の彼女は薄いピンク色の
半袖のウールのセーターの細い繊維
がふんわりと可愛らしくて、
そっと抱擁したくなる。

「安物ですよ。」

そう彼女は言ったけれど、
そんな事は問題では無くて
唯、可愛らしくあった。

時間の密度を高めたいと思って
今日は、キャンドルサービスと
お菓子やカクテルを用意しておいた。

彼女はアーモンドとココナッツ
のベルギーの御菓子を喜んだ。

マグノリアの花の香りのする
キャンドルも気に入って呉れた。

「マグノリアは好きな香り」

「ロマンチックね。」

そう彼女は言った。

どうして彼女が此処に居るのか
知りたくて、言いにくいことを聞いて
しまったのかも知れない。

それでも、彼女は色々教えて呉れた。

時間の過ぎるのは早くて名残惜しい。
魅かれているように思う。

「少し好きになったみたいだよ。」

遠慮がちにそう言ってみる。

「ダンディです、よ。」

褒めて貰って嬉しかったのだけど。
本当は僕は彼女の心がどうなのか
知りたいのだと思った。

疑似恋愛の中から本当のものが
生まれる事があるのだろうか。

恋人同士でも真実であるはずの
その恋や愛がリアルでは無いことも
有るように、

仮想(バーチャル)な恋愛が真実に
なることが有るのだろうかと僕は
そう思っていたりする。

 

お土産に持って帰ったマグノリアの
キャンドル。

彼女は今ごろ、キャンドルに火を灯して
その香りと暖かい光に包まれていて

彼女の瞳に映る橙色の炎とその微笑みが
僕には見えるように思えた。

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あの頃のパーティ

僕は毎度もパーティーやコンパの幹事役だった。
先輩や同級生、後輩を集めて皆に楽しい時間を過ごして
貰う企画をするのが好きだった。

僕が忘れえないパーティーは小さなパブを借りきって
パブの黒い天井に、満開の桜の木をデコレーションした

「室内でのお花見パーティー」であった。

自宅に桜の木のあるメンバーが桜の枝を切って持ち寄った。

桜は室内でも充分美しかったし、パブはいつもとは違う
異次元の空間の様になった。

桜の花びらが偶然にもグラスの中にはらりと一枚落ちてきた。

「風流だねえ。」 彼女達は言った。

ほんのりと白い桜の花びらは、グラスの中で眩しくて
ソフトフォーカスのように輪郭が滲んで見えた。
皆の笑顔が幸せそうに朧げに見えていた。

それから幾年が過ぎたのだろう。
僕たちはそれぞれの人生を歩んでいる。

皆よりも僕はアウトローでエリートと言われる
道を逸れてしまったのだと思う。
戻る事はもう無い。

やがて寒い冬が来て、又、桜の季節になるのだろう。
桜を見るたびに、
僕は愉しかったあのパーティを思い出したりする。

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夢二のデザイン

「私、通販で夢二デザインのものを買ったことがある。」

そう彼女は言った。 

竹下夢二は確かにイラストレターで、今で言う商業デザイナー
でも有ったのだ。

彼のデザインは浪漫と情緒溢れるもので、少しばかりアンニュイ
で寂しさや憂いも含んでいるように感じる。

求めても満たされない何か。
そういうものを僕は彼の作品から受けるように思う。


夢二デザイン

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yumeji

「ブログのタイトルはyumeji-sanというのは
 竹久夢二のことなの?」

と聞かれる事がある。
「ええ、そうですよ。」

そう答えているのだが、よく考えれば
「夢路」という意味もあるのだと思う。

だからブログは、夢二に端を発した芸術の事で
あったり、夢の話であったりするのだと思う。

「人生は夢の又、夢。」

現実を行き抜かれば成らないけれども
夢も無くては虚しいことにもなる。

最近、自ら命を絶つ人たちも居るのだけれど
夢を持っていれば厳しい現実に向かう事も
でるのでは無いかと思う。

Aijyou

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少女のよう

「あ、有り難う。」
そう彼女は小さく呟いた。

言葉は少し躊躇いがちで、文節で語るように短い。
恥ずかしがりやの様で居て大胆なところも有り
少女のようで居て大人の彼女である。

僕はその断片を繋ぎ合わせ乍ら彼女の全体を
描こうと思っている。丁度、パッチワークか
ジグゾーパズルの様でもある。

横顔を見ると、睫毛が長くて眉毛も整っている。
少し猫背を直してみると、胸からお腹に掛けての
体のラインが綺麗になった。

少女のように京の香が可愛らしく匂った。

二十年も掛けて作り上げられた人の体や心は
実に単純そうで居て複雑で精緻なものだと思う。
受け継がれた遺伝子をベースとして生きてきた
環境によって、人は創られる。

遺伝子は確かに素因の多くを決めるのであるが、
それは肉体の全てでは無くて変えることが出来る部分も
あるから努力したりする意味がある。

僕は彼女がどういう気持ちでいるのだろうと
思いつつ、その胸に手を当ててみる。
彼女の指先は細くて綺麗であった。
こうやって少しづつ色々気付いて行く。

結局、僕はその彼女と共有できる何かを
求めて、満たされない心の空隙を埋めよう
としているのだと思う。

彼女の名前を小さく呼んでみる。

少し彼女が瞼を開けたように思う。

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夢と現実

「夢の様に現実を創るんだ。」

その彼女に言ったら不思議そうな顔をして
見つめ返してきた。

夢によって今の現実が創られることもあると
僕は真剣にそう思っている。

「現実のような夢」よりは、その方が良いとも思う。

そんな話をしながら、僕は彼女の顔が誰かに
似ていると思って自分の頭の中の記憶を反芻して、
自分が家庭教師の時に教えていた女子中学生の
面影に似ているということに漸く気がついた。

「私の夢は宇宙旅行、無重力を体験したい。」

そう彼女は言うのである。少し思いつかなかったが
確かに僕よりもスケールの大きな夢なのかも知れない。

スカイラウンジの窓越しに見える夜景を見ながら
彼女が少し微笑んでお酒を飲む姿を僕は楽しんで
居た。

話をしていると心が少し繋がってきた様にも
思ったりするのだが、本当はどうなのだろうと
考えたりもする。

こうして彼女と過ごす時間も夢の様な現実なのかも
知れないとも思う。
僕は彼女と過ごす一時がとても短く感じている。
楽しいからなのである。

この夢はやがて醒めるのだろうか、あるいは
新しい現実を創るのだろうか。
少し楽しみであったりする。


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TRON(トロン)

CGをやっていたという彼女がトロンに就いて聞いて
きたのだが僕は、東大の坂村教授によって創られた
日本初のOSであるトロンシステムとそのプロジェクト
の事ばかり話していたのだが、うっかりディズニー
の製作したTRONというCG映画の事を失念していた。

コンピュータグラフィックスの進歩はここ二十年で
凄まじく発展してきた。二次元のピクセルという点
描画から、三次元のワイヤーフレームそしてレンダ
リング、イメージマッピング、時間軸を加えた
四次元のリアルタイムのCADやCG映画。

少し前にはシリコングラフィックスのワーク
ステーションが良かったのであるが今は、パソコン
の能力が進歩してきており、さらにはゲーム機の
描画能力も一昔前のスパコン並に進化してきている。
ソニーのPS3に採用されるCellチップはIBM、東芝、
ソニーの半導体テクノロジの集大成でも有る。

デジタルの世界は、小さなチップが仮想空間に
リアルな絵を描いて見せる。どんどん情報量が
多くなり、ビット数が増えて行けばやがて人間の
網膜よりも解像度が上り、それは仮想空間という
認識はもはや出来なくなる。 グラフィックスに
支配される視覚とその他の五感がリンク出来れば、
それは人にとっては仮想か現実か
境界が解らなくなるのだと思う。

正に映画、マトリックスの世界でも有る。

「色即是空」

実態が有るようであるが空である。これは
意識を表現した般若心経の文言であるが、
これはコンピュータの描く世界にも通じる
ものが有る。

Googleはインターネット上で地図に自分の
家や建造物のデータをCADを無償配布する
ことで三次元のマッピングさせ始めた。

CGを描く彼女の意識の中はどうなのだろう。

イメイジは心(脳)で創られて、そのイメイジ
は深層心理に働いて、人の行動に影響をも与え
現実を創り出す。

色々な思いはイメイジ化され現実をも構築
するためのデザインであり、あるときは発明
で有ったり、事業で有ったり、夢であったり
するものだと思う。

そのイメイジが確かなものであれば実現して
行くものになっていく。

CGの彼女は頭の中でどんな夢のイメイジを
描いているのだろう。

その瞳は心へと続くゲイトウエイの様な
気がしている。

だから僕はインターフェースとしての瞳を
見つめていたりする。

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純子という女性

僕が一度だけラヴレターを書いた事がある。
純子という名前の彼女に。
彼女は父親が居なくて、寂しげな感じが
とても 気になる存在だった。

大人しくて無口で居て、控えめな女性。
細くて白い指先の先端の爪の辺りが少し
桜色の様で居て、綺麗な字を書く娘であった。

日本画に描かれる様な彼女は笑うと
白い頬に可愛らしい笑窪が出来た。

僕は高校生時代の三年間、彼女を遠くから
ただ眺めていたのである。 
大学受験が控えていたから 恋愛は我慢しようと
思っていた。

今のように携帯電話も一般的では無かったし
インターネットも未だであったから、
簡単に思い を伝えるという事も勇気が要るし
抵抗が有った。
好きでは無い娘からは、ほかの女学生経由で
打診が有ったりしたのだけれども意中の女性
への 思いは伝わらないものだと思ったりもした。

僕は大学に合格して手紙を書くこととなった。
ラヴレターが、此れほど気恥ずかしいものだ
とは 思わなかった。 
でも思いを綴ることで自分の気持ちを あらためて
見つめることが出来たように感じた。

気持ちが通じたのか僕にとって彼女との
初めてのデート をすることになった。
大学の学園祭だった。

でも、そのデートが最初で最後だった。
彼女には結局、手も触れずじまいであった。
妙に明るくなった彼女は僕が思い込んでいた
薄幸な少女 という感じとは違って居たし、
僕も彼女が思うような風采では 無かったのかも
知れない。 

何よりも僕のラヴレターを家族に見せたという
話が 少しばかりショックでも有った。

お互い連絡も取らずにいて自然消滅となってしまった。
僕の思い込みだったかも知れない。
それ以来、僕はラヴレターを書いた事が無い。

たった一度の恋文であったのだと思う。

社会人に成ってから、僕は偶然彼女と街で
バッタリ 出会うこととなった。
彼女は女友達と一緒に居たのであるが
僕は、驚いて「あっ」と言ったきり声が出なかった。

暫く見つめて僕は彼女とすれ違った。
彼女は少し微笑んだようにも思えたのだが、
僕は意気地無しで、話し掛けることが出来なかった。 

他の女性と待ち合わせしていたので時間が無かった
と いうことも有ったのだが、咄嗟の事で考えも
巡らなかった。

他の女性とデイトとしていても僕は実は上の空で
純子の事ばかりを考え、純粋だったあの頃、
少しばかり 恥ずかしくもある思いに耽っていた。

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雷の日に

雷の日に、その彼女が来て呉れた。 
誰に似ているのか思い出せないのであるが、
何故か、何処かで出会ったように思える。

少し桜色の頬が、可愛らしい。

接吻(キス)は、小さな唇で、少し歯が当たる
様な感じもしたが、昔、何処かで誰かと
した、その初キスの感覚を思い出していた。

年齢不詳のその彼女との言葉のやり取りが
中学生の頃の同級生とソックリで少し可笑しくて
でも、不思議な懐かしさを感じていた。

スレンダーな体は僕よりも少し温度が低くて
滑らかで触れていると心地が良い。
胸は擽ったいようで、堪え切れないように
笑うのが可笑しかった。

優しくて面白い彼女。CG関係の勉強も
したのだと言う。
僕もイラストを描くのが好きだった。

「色々有って。」

僕は詮索はしなかったが彼女がここに
こうして居るのを、少しの躊躇(ためら)いと
嬉しさが混ざった思いで居た。

僕は彼女の瞳の奥を覗いていると、
彼女は少し恥ずかしがるように手で隠した。
ブラウン系のアイシャドウが
その瞳に良く似合う。

柔らかな印象の彼女。彼女が去った
今も、穏やかな気持ちでいる。

素敵な彼女。

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儚い記憶

その彼女の面影は今でも僕の記憶の中に有る。

彼女はガラス細工の様に壊れやすそうでいて
触れてはみたいけれども、そうしてみると、何処かが欠けて
小さな音とともに儚く砕けそうであった。

僕はこの浜辺にハイウエイを飛ばして随分と久しぶりに来た。

あの時、砂浜の少し小高くなった処に、僕と彼女は並んですわった。
色が白くスリムな綺麗な彼女だった。 染めてはいないけれど少し
栗色の髪は風になびいていた。

 「気持ちいい。」

潮騒は青空に吸い込まれるようであった。
僕は彼女の写真を撮った。でも一緒には写らなかった。

「写真を撮ると残るから。」 彼女は束の間のデートで
別れを予感していたのかも知れない。

素敵な彼女で社長令嬢で育ちも良かったが

 「私、取り柄が無いし。」 そう彼女は呟いた。

普通に幸せな人生を
歩むべき彼女、そうであった。

僕はキスもせず、そっと彼女の肩を寄せた。
僕は我が儘なのだと思う。

彼女は優しいし家庭的だとも思う。でも何かが
違うのだと僕も彼女も解っていた。

夜の浜辺のホテルでディナーを取った。
平日だったせいか客は疎らで、僕らの為にあるように
も思えた。

自動演奏のグランドピアノが機械的な演奏を
流していた。 夜の浜辺は風が強かったがホテルに
イルミネーションされた数多くの豆電球が目の中に
ソフトフォーカスで見えた。柔らかな時間であった。

クリスマスイヴの少し前に彼女から電話が有った。
深入りすることも無く、裏切ることもなく
僕は彼女をただ傷つけたく無かった。
彼女は僕から離れていった。それで良いと思った。

たった一枚撮った、彼女のポートレイトは
少し微笑んでいた。

そして今、僕はこの浜にもう一度座り、
彼女が居たあたりの窪みの砂をそっと握ってみる。
手のひらから砂の粒子が陽の光を受けてさらさらと
砂時計の様にこぼれ落ちる。

目の前には太平洋。白い波が打ち寄せる。
潮騒はまだ続いている。
記憶の中の彼女はまだ横にいるようだ。

Kanojyo


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可愛らしい娘

ドアを開けると可愛らしい娘が立っていた。

少し重そうなバックを片手に小柄な彼女はちょこんと挨拶をする。

HPから想像した姿よりも柔らかい印象で、円らな瞳の優しい娘である。

一人っ子のせいか甘え上手かな。

「もっと綺麗になりたいの。」

「十分綺麗だと思うけど。」

「またまたあ。」

ささやかなプレゼントのchocolateを美味しそうに口にする。

薄い板状のその御菓子が舌の上で何時の間にか無くなるように

僕の心も少し甘く溶けていくようだね。

人が好きだという彼女。色々勉強中との事なのだが、

やがて何かをやってみたいという。

何なんだろうね。又、逢えればと思う。

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